ウクライナ~キエフルーシ発祥の地~

こんにちは、バルカン研究会です!!

 

 バルカン研究会(通称バル研)には、東京外国語大学の学生で、専攻言語・地域として指定されていない文化圏に興味のある学生が集まっています!

 

「マイナーな国に興味がある」

 

「バルカン諸国や東欧・北欧に興味がある」

 

といった方は、是非このブログに足を運んでみてくださいね!

 

今回は、ソ連の構成国の一つであったウクライナについて、一般にはあまり知られていないその概要についてご紹介するため、筆を執らせて頂きます!

 

 ウクライナの国旗 - Wikipedia

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 外務省のウクライナの説明を見ると、以下のようになっています。

 

領土面積:60万3,700平方キロメートル(日本の約1.6倍)

人口: 4,205万人(クリミアを除く)(2019年:ウクライナ国家統計局)

首都キエフ

民族ウクライナ人(77.8%),ロシア人(17.3%),ベラルーシ人(0.6%),モルドバ人,クリミア・タタール人ユダヤ人等(2001年国勢調査

言語ウクライナ語(国家語),その他ロシア語等

https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ukraine/data.html#section1より)

 

意外かもしれませんが、ウクライナはヨーロッパ随一の面積を誇る国家なのですね。チェルノーゼムと呼ばれる肥沃な国土地帯が存在するため、穀物生産が非常に盛んです。ソ連時代には、穀倉地帯として重宝されました。

 

人口統計が「クリミアを除く」となっているのは、2014年のクリミア併合によって人口調査が実施できなくなっているためと思われます。

 

ウクライナの都市としては、有名な首都キエフの他に、ロシア皇帝エカチェリーナ2世時代に建設された海港都市オデッサポーランド人によって建設されたウクライナ色の強い西部の都市リヴィウ、人口第二の都市ハルキウなどがあります。

 

クリミア・タタール人とは何か、と思われた方がいらっしゃると思います。この民族はトルコに由来をもち、クリミア半島に永らく定住してきた民族です。13世紀にヨーロッパにまで版図を広げたモンゴルの直轄国・キプチャク・ハン国の末裔国家として、クリミア・ハン国という民族国家を有していた時期もあります。

 

ウクライナで話される言語に関しては、ほぼ全国民がロシア語とウクライナ語のバイリンガルであると考えられます。ただし地域差(西部ではウクライナ語が強く、東部ではロシア語が強い。また、大都市ではよりロシア語が使用される傾向がある。)や個人差(詳細な区別はバイリンガリズムの研究に譲りますが、例えば、文章語のみでロシア語を使う、Passive(;聞く場面と読む場面)な場合にのみロシア語を使用するなど)があります。母語がロシア語でウクライナ語が第二言語である人もいれば、その逆の人もいます。

 

また同サイトには、以下のようにウクライナの歴史がつづられています。

 

8世紀 キエフ・ルーシの成立
1240年 モンゴル軍キエフ攻略
1340年 ポーランドの東ガリツィア地方占領
1362年 リトアニアキエフ占領
1648年 フメリニツキーの蜂起(ポーランドからの独立戦争
1654年 ペレヤスラフ協定
1764年 ポルタヴァの戦い(ロシアからの独立戦争
1853年 クリミア戦争
1914年 第一次世界大戦
1917年 ウクライナ人民共和国(中央ラーダ政権)成立
1917年~1921年 ウクライナソビエト戦争
1922年 ソビエト社会主義共和国連邦成立
1932年 大飢饉(ホロドモール)
1939年 第二次世界大戦
1941年 独ソ戦開始,独によるウクライナ占領
1954年 クリミアをウクライナ編入
1986年 チェルノブイリ原発事故
1991年 ウクライナ独立,ソ連邦崩壊,CIS創設
1996年 憲法制定,通貨フリヴニャ導入
2004年 オレンジ革命
2013年~2014年 マイダン革命(尊厳の革命)

 

紙幅の関係上、事細かに説明することは叶いませんが、すこしだけピックアップしてお話ししようかと思います。

 

まず「キエフ・ルーシの成立」ですが、スカンディナビア半島からやってきたヴァイキングが大陸内部へ攻め込み、果ては地中海にまで進出していった経緯は有名なところです。彼らは9世紀頃に、現在のウクライナの首都・キエフを首都としてキエフ公国を建設します。この事実をもって、現在のロシアやウクライナベラルーシ民族の起源であるルーシ民族の歴史が始まるとされます。

 

ポーランド」や「リトアニア」といった国々がなぜウクライナに関係しているのか、と疑問に思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、「ポーランド・リトアニア共和国(自称は、ポーランド語に由来するジェチ・ポスポリタ。英語名ではCommonwealthなどとも呼ばれる。)」といえば、中世・近世随一の東欧の大国です。ポーランド・リトアニア共和国は、当時ウクライナに住みついていたウクライナ・コサックを服属させ、軍事力として利用していました。その微妙な関係の裏には様々なドラマティックなストーリーがあるのですが、今回は書きません。

 

ソ連支配下におけるウクライナ共和国において特筆しなければならないのは、「大飢饉(ホロドモール、Holodomor、Famine Genoside)」です。聞きなれない単語かもしれませんが、この史実は、ナチスによるホロコーストに匹敵するソ連によるジェノサイド(大量虐殺)であると、様々な機関により認定されています。先ほど述べた通りウクライナは世界随一の穀倉地帯ですが、ソ連中央による過剰な穀物徴発によって、ウクライナでは大飢饉が発生しました。都市間移動が禁止され、人肉食まで行われたといいます。ウクライナ最大の悲劇と言えます。

 

「ユーロマイダン」は、記憶に新しいのではないでしょうか。親露路線に傾いた当時のヤヌコヴィッチ政権に対してウクライナのジャーナリストがFacebookで抗議集会を呼びかけたのを発端とし、公安との衝突により多数の死傷者を出すほどの大規模に発展した「革命」です。ただしこの事件には複雑な政治力学が働いていると考えられ、クリミア併合や米国のウクライナ問題などと合わせて、慎重な考察が必要です。

 

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ユーロマイダンの舞台となったキエフのマイダン広場

 

次に、ウクライナの料理と伝統文化についてご紹介したいと思います。

 

 

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ビーツ(地中海沿海原産、サトウダイコンの一種)をベースとし、ニンジン、ジャガイモ、キャベツ、タマネギなど種々の野菜や牛肉、豆などを煮込んだスープ。出来上がりはビーツの色素により深紅色に染まります。スメタナサワークリーム)をトッピングすると、白色が混ざることでピンク色となります。仕上げに、香草のディルを添えることがあります。

 

 食事を提供する場ならどこのメニューにあるといっても過言ではなく、レストラン、カフェはもちろん、学食などでも当たり前のように提供されていました。この料理に関しては、一般の家庭に、調理実習として習いに行きました。言うなれば、日本のお味噌汁みたいなものでしょう。お味噌汁にバリエーションがあるのと同様に多様性があり、ゼレーヌイ(緑の)・ボルシチと呼ばれるホウレンソウが主役のボルシチなどもあります。

 

 

  • ヴァレニキ(Вареники

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肉、キャベツ、チーズ、ジャガイモ、桜桃、イチゴ等の具を、小麦の生地で包んで煮たダンプリング料理。小型なので、フォークで刺して一口で食べられます。名称は、「茹でる」を意味するウクライナ語の単語“варити(ヴァルィートィ)”に由来します。

 

 ヴァレニキも、ボルシチと同様地理的な広がりを見せる料理です。周辺諸国において作られる、ヴァレニキと共通点をもつ料理としては、ポーランドのピエロギ、ロシアのペリメニ(両者はほぼ同じといってよいほどに似ており、ポーランド語ではペリメニをラスキー・ピエロギ(ロシアのピエロギ)と呼ぶことがあるそう)などが挙げられます。

 

  • サーロ(Сало

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 サーロは、豚の背脂の塩漬けです。向こうのおつまみのような存在で、スライスされた切り身を黒パンとともに食べるのがお約束です。日本人の感覚では考えられない料理ですよね、でも、東欧を中心に、昔から食べられてきた伝統料理なのです。保存食として、兵隊や重労働者にも重宝されました。ポーランドやロシアでもサーロ文化は存在しますが、しかし、ウクライナ人のサーロへのこだわりは周辺諸国とくらべて強いと言われます。

 

 サーロの味は、決してしつこくはなく、むしろあっさりとしています。味付けがシンプルなだけに、噛めば噛むほど脂の旨味が出てくるのです。個人的な感想ですが、非常に中毒性があります。塩分が多く含まれているため、サーロの食べすぎが健康問題を引き起こすという話も聞いたことがあります。

 

 オデッサで食べたサーロにトッピングされていたのは、黒パン(хліб чорний)、ガーリックスライス、マスタードでした。サーロの旨味、黒パンのほろ苦さ、ガーリックスライスの風味、マスタードの刺激という組み合わせは絶妙で、是非おすすめしたいです。ボルシチの付け合わせとしても登場したディルが添えられることもあります。

 

続いて、ウクライナの伝統文化です(説明に関しては、在日ウクライナ大使館の発行物を参考にしました)。

 

・ヴィシヴァンカ(Вишиванка)

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右から二番目の女性(ソプラノオペラ歌手のオクサーナ・ステパニュックさん)が、ヴィシヴァンカを着ている。(2019年11月のウクライナ・クラシック演奏会での撮影)

 

ウクライナの伝統的な民族衣装です。地域によって刺繍される紋様や地の色が異なり、そうした紋様は病気や悪霊などの「悪しきもの」から身を護るための「魔除け」の意味があります。最も一般的なのは写真の通り赤と白の組み合わせです。

 

・ピサンカ(Писанка)

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ウクライナ語で「書く」を意味するПисатиに由来する名前をもつ、ウクライナイースターエッグです。本当に多種多様な柄があり、とてもオシャレです。

 

・モタンカ(Мотанка)

 

 

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筆者作成のモタンカ。中に米粒を詰めた。

ウクライナの魔除け人形。十字に結ばれた顔は、太陽神を表しています。ヴィシヴァンカの紋様と同様持ち主を災いから遠ざける他、幸せや冨を呼び込むといいます。結婚式のときもお守りとして用います。

 

 

以上になります。いかがでしたでしょうか。

ウクライナはとても個性的な文化や歴史をもっています。日本人にとってはロシアの陰に隠れてあまり目立たない国ですが、日本との交流がもっと広がってほしいなと、個人的に思っています。

この記事を読んでいただいたみなさんも、ニュースにウクライナが出てきたら、ちょこっとだけでもこの国について想像を巡らせてみてくださいね。

 

おわり